【自己紹介】はじめまして、ふわまると申します。

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ふわまる
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サイトに来ていただいてありがとうございます。運営者のふわまるです。

 2022年9月にブログを開設しました。まだまだ初心者です。

 PCは仕事柄、wordやExcelは日常的に使っていましたが、ワードプレスはブログをするようになって初めて使いました。

この記事では自己紹介とこれまでの職歴を紹介させていただきます。

自己紹介

  • 男性 40代
  • 既婚
  • 子ども2人高2の息子と小6の娘
  • 趣味:漫画、読書、youtube動画(自己啓発)、剣道、パン作り

経歴 お仕事

Karolina GrabowskaによるPixabayからの画像

小学校から大学まで県内の学校に通っていました。

「1993年のドーハの悲劇」は16歳の時ですので、ワールドカップで当時の映像を見ると時代を感じます(笑。

この頃にバブルも弾けて、日本経済も低迷してきました。私たちの中学、高校時代はそのうち日本経済はバブル期のように立ち直る出そうと考えられていました。進学校に進み、いい大学に入り、優良企業もしくは公務員になれれば安泰と信じられていました。

高校は一応進学校に進みましたが、大学は地元の経済学部に。勉強は得意でなく、当時は特に目標や夢もなかったので、ただバイトに明け暮れ、友だちや彼女との時間を満喫していました。

就職氷河期

UnsplashJoshua Earleが撮影した写真

 現在はどんな企業・業種も人手不足と言われ、新卒の学生は取り合いの状態です。

 私の就活時期は氷河期。企業の採用枠が少なく、求人を出していない企業もありました。今と違って人手が余っている時代、世間は仕事を探す学生であふれかえっていました。

 就職できず、就職浪人する人も多かったです。この時期に労働派遣法が規制緩和され、企業に就職できない多くの人が「派遣社員」となっていました。真面目な学生は100件の企業に採用試験を受け、そのうち数件の内定が出るという状態。まさに就職戦線。

私はというと。将来に目標もなく、企業の説明会にはいくものの、自分が働く姿はイメージできず、バイトばかりしていました。しかし、飲食店で接客をしていたので、人と関わる仕事がしたいとは思っていました。服が好きでしたので、お客さんと密に関われるアパレル業界を目指すことにしました。

夢破れたり!

PexelsによるPixabayからの画像

 就職活動時に大学の適性検査で目に色覚異常が見つかりました。過去にも出ていたと思うのですが、きっと私自身忘れていたのでしょう。日常生活で困ることはないものの、検査で見せられる絵がちゃんと見えないことで、色覚に異常があるといわれました。アパレル20代の私は心折れてしまいます。

今思えば、そんなハンデにはならないと思うのですが、人と違うというのは少なからずショックがありましたね。それでも大手のアパレルメーカーを数社受けたのですが、不景気の時代にアパレルメーカーの求人はごくわずかです。受かるはずもなく、刻一刻と卒業時期が迫ってきてました。

福祉に出会う

SCYによるPixabayからの画像

就職先も見つからず、卒業後はアパレルショップでバイトをしながら正社員登用を目指そうかと考えていました。同じ頃、友人が老人ホームの内定をもらったという話を聞き、少し興味がわきます。そんな簡単に内定が出るということに驚きです。友人は公務員試験に落ちたので、翌年に受けるまでの期間だけ老人ホームに努めるということでした。そのことを条件にしても内定が出たというのでさらに驚きました。

進路について親に相談はしたことはなかったのですが、就職について母に相談しました。うちは両親と兄の核家族で育ったので、介護はだれも経験していません。当時は介護保険が施行される前でしたので、世間で高齢者介護の認知度は低く、未知の世界です。イメージとしては「きつい、汚い、給料が安い」という感じでした。それでも、今の自分には何も得意なものがなく、目標もない。ならばせめて世の中の役に立つ仕事に就きたいと思いました。

老人ホーム、正確には介護老人保健施設ですが、面接に行くと当日に内定が出ました。施設側としては、過去に大卒の採用はほとんどなかったらしく、逆に「うちで良いの?」と心配されましたが、晴れて就職も決定!

高齢者の介護は想像と違い楽しかった

介護に対するイメージが全くなかったので、仕事を始めた当初は度胸試しに行くような感覚でした。介護老人保健施設(以下 老健)は在宅と病院の中間のような施設なので、病院的な臭いと雰囲気がさらに緊張感を増しました。

それでも、忙しいながらも仕事は過酷には感じませんでした。オムツ交換や排せつの介助も思った以上に抵抗なくできました。しっかりとお昼に休憩も取れるし、以外に楽なようにも感じたのが本音です。

それは学生時代の飲食店でのバイトが過酷すぎたのでしょう。バイト時代は少ない人数で常に忙しかったですし、まともに食事を摂る時間もありませんでした。時給も850円だったかな。大学で授業を受けて、終わったその足でバイト先に向かい、帰ったら23時くらいという生活が週5~6日のペースでした。それでも月の給料は8万円くらいがやっと。お金の稼ぐ難しさを感じていました。

老健もかなりの安月給でした。基本給は14万円くらだったかな。今思うと驚きです。当時の物価が安かったというわけではありません(笑

それでも、週2回休みがあって、お昼に休憩が45分、夕方に15分あり、給料が10万円以上あるとなると、学生時代にバイトと比べると夢のようでした。利用者さんや家族からは感謝の言葉もいただいて、とても良い仕事だと思いました。

福祉の世界でキャリアップを目指す

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

福祉の世界に飛び込んでみて、将来的にキャリアップしたいと思うようになりました。それは、大学の同期や幼馴染の話を聞いてるうちに福祉の現場がかなり薄給なことに気づきます。将来的にもっと給料を増やしたいと思うのと、さらに待遇の良い職場に転職したいと考えました。それには資格を取ることが必要と思い、福祉の国家資格には介護福祉士と社会福祉士があること。社会福祉士は通信教育で受験資格を取る必要があることを知りました。

Jan VašekによるPixabayからの画像

幸いにも、職場は勉強をしたり、資格を取りたいと思っている人を応援してくれていましたので、通信教育で大学の社会福祉学部に編入し、社会福祉士を目指しました。仕事の合間にレポートを書いて、テストを受ける。さらには長期間スクーリングに行ったりとハードな2年間でした。実は卒業の単位が足らず、2年と半年で卒業をしましたww

大学に行くことで広がる福祉の世界

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

きっと通信で大学に通っていなかったら、今も高齢者の介護をしていたと思います。高齢者の介護は大変ではありましたが、大好きな仕事でした。しかし、大学で授業を受けると、福祉の世界には児童福祉、身体・知的・精神の障害福祉など、さまざまな分野があることを知りました。また、学校では看護師や理学療法士など、他職種の方と知り合うことできたのも世界観を広げるのに役立ちました。児童相談所や児童養護施設で働いてみないと思っていました。高齢者の介護は楽しい反面、利用者さんの看取りをする機会も多かったです。また、介護をしていく中で状態がわるくなってしまうことも多いです。高齢の方々なので仕方のないことなのですが、仕事を続けていく中でさみしさやもどかしさも感じていました。

障害福祉と出会う

通信教育を受けている時、実習に行く必要がありました。通信教育の場合、実習先は自分で見つけなければいけないので、「これは困った!」と思い、実習先の探し方も分からずに戸惑っていました。ただ当時の私にはこういう時に行動力がなかったのが原因ですが。

すると、偶然にも母の友人が知的障害者の通所施設で働いていたことをきっかけに、知的障害者の入所施設を紹介してもらいました。探す手間が省けたので喜んで紹介された施設に訪問し、実習先が決まりました。この施設は主に重度の知的障害を伴う自閉症の方々を支援している入所施設でしたが、私自身は知的障害や自閉症のことなんて全くわかりません。また、未知の世界に飛び込むことになりました。

障害者の施設で実習をする

障害者支援施設は今まで働いてきた老健とは全く環境が違い、戸惑いもありました。老健は期間限定でリハビリをし、在宅復帰を目指す施設です。利用者さんは4人部屋で、老健は建物自体も病院のような作りです。食事も大きな食堂で約60名の利用者さんが食事を摂っていました。

実習先はというと、10名のユニット型で、日中は2~3名の職員が支援をする体制でした。利用者さんが住む部屋は個室で週末には帰省される方も多かったです。利用者さんの年齢も私と同い年か年下の方もいるため、まったく環境は違いました。

具体的な支援内容は根本的に高齢者と大きく変わらないのかもしれません。本人の持つ力を活かし、主体的に生活を送っていただけるよう支えるのが基本です。しかし、高齢者と違う点は将来的にどのように暮らしていくか、持つ力を伸ばす、身の回りのことをできるようになる支援も必要になってくることでした。実習に取り組む中で新たな分野に刺激がありましたし、この仕事に就きたいと思うようになりました。

転職・介護士から生活支援員に

実習先の施設は翌年度の採用試験を行っており、思い切って受けてみました。結果は合格。

同じ福祉の世界ですが、対象の利用者さんはまったく変わりました。自閉症の方の支援に携わることになりましたが、当時はまったく知識もありません。今では文献や研修、YouTubeでも自閉症・発達障害に関する情報を得ることができますが、20年前はまだ文献も少なかったです。YouTubeもありませんでした。スマホもなく、インターネットも今ほど普及していません。行動障害のある利用者さんへの支援に戸惑い、他の職員と話し合って手探りで支援に取り組むことも多かったです。

気が付けば、かつては自分が実習に来ていたのに、今では自分が実習を受け入れる立場になりました。今でもこの仕事が大好きです。

最後に

基本的に何をするにも不器用な私です。ブログをはじめても分からないことばかり。障害者、特に重度の知的障害を伴う自閉症の方の支援に長く携わってきました。このブログでこれまでの実践の経験や知識を使って誰かのお役に立てれば幸いです。

よろしくお願いします。

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