仕事、日常生活で何か問題が起きたり、解決しなければいけない課題が出てきます。それに対して自分では頑張って取り組んだつもりでも、解決しない場合があります。
仕事の面では上司や同僚に相談して、解決方法を探ることができます。会議をして、PDCAサイクルを回したり。他の専門家にコンサルを受けたり。
では私生活の方はどうでしょう。特に夫婦の関係や子どものことは解決できず、先送りになって、問題がさらに大きくなってしまう場合があります。うちでは子どもの教育に関する問題がそれにあたります。ただ僕の失敗談です。
考えれば考えるほど泥沼に
息子の勉強のことです。子どもが自分から勉強に取り組む姿勢を持てるようになるのって、難しい。小学生のころから子どもに怒ってばかりいました。
自分は子どもの時真面目に勉強なんてしてこなかったのに。その人が「どの口が言う?」と感じで「ちゃんと宿題しなさい!」と言ってしまう矛盾。
子どもは、「やりなさい!」と言えば言うほどやらなくなる。「やっちゃだめ!」ってことはどんどんするのに。
今振り返ると、自分自身はひどい親だったと思います。今で言う「毒親」というのでしょう。
今でもひどい親です。子どもが自分の思い通りに行動しないことに腹を立てて、怒るばかりで。余計に気持ちも離れるし、普段からの言葉がけも厳しくなる。余計に言うことも聞かないし。
子どもに良い言葉がけができない分、セルフイメージも下がってしまいます。今思うと、「ごめんなさい」と思うばかり。
自分の力を過信してしまう
自分がなんとかしなければ。と必死になっているのに、うまくいかない。それは自分に力がないことが自覚できていない。できないこと、解決しない悩みは誰からアドバイスを受けたり、助けを求めることが当然なのに。
一番身近な妻と相談したらいいだけなのに。それもできていなかった。
仕事であったら、自分の考えをまとめて上司に相談したり、仲間と話し合ったり。解決方法を見つけて、試して、やり直したりできるのに。
私生活ではそれができないのは完全に冷静さに欠ける、自分の力で何とかできると思っていたのでしょうか。
その思いと比例するように子どもの成績は落ちていきます。どうしてと言わんばかりに。
相手を変えることに注視して、自分のことが見えていない現実
人間関係の悩みの大半は相手を変えたい、と思う間違った認識にあると思います。自分は正しいと誤認してしまっている状態ではなおさらのこと。さらに親子の関係では親が正しいと思ってしまうこと自体が間違い。
どうしたら、この子が変わるのか。意欲に勉強に取り組むのか。自分の将来について考えるのか。そんなことを考えていましたが、自分がどう変わらなければいけないかは全く考えていませんでした。
それが一番の問題。自らを振り返らないから、問題はどんどん大きくなり、先延ばしになります。相手は変わらない。変わる必要があるのは自分ということに気づけなかったことが悔やまれます。
救いの手はやはり家族です
救ってくれたのは義父でした。義父は息子に寄り添い、私に代わって勉強につきそってくれました。それこそが子どもに寄り添うということでした。私の場合は寄り添いではなく、その場に縛り付けるような状態だったのでしょう。リラックスした状態でなければ物事はうまく進みません。
自己肯定感は褒めて育まれるものでないことに気づくのが遅かったです。
自己肯定感はありのままを受け入れる。寄り添うことだと思います。一緒に過ごしていて安心できる関係性。僕に欠けている物を数えるときりがないですが。
改めて見ると、妻、義母もありのままを受け入れ、寄り添う姿勢にあふれています。何とかしようと思う僕が一番彼に寄り添わず、傷つけていました。結局は何かをしたわけではなく、何もしてこなかったのです。
誰かを傷つけてしまうと、その周囲の人も傷つけてしまいます。息子を傷つけてしまっていた。結果的に家族みんなを傷つけていたのではないかと思います。周囲の人にも「息子は勉強が全然できなくて」とぼやいたり。人のイメージをさげるようなことをわざわざ言う必要はありません。悪いのは本人ではなく、導けない自分です。
親がしなければいけないこと
息子のことで大変お叱りを受けました。問題を先送りにしてしまっていたこと。結局は何もしてこなかったのと同じだからです。
それは当然のこと。子どもの学力について、自分はできるだけのことをやってきたと言ってしまったこと。それを指摘されるのを嫌がったために保身に走ってしまったこと。
子どもにはそれぞれ性格や育ちの早さ。時代によって必要なサポート方法も違います。苦手だったり、できないことが多いと、セルフイメージを下げてしまいます。中学生だから親が手を出すべきではない。高校生だったが、一人でなんとかしなければいけない。という見方もありますが、それは人それぞれ。子どもは周囲にサポートを求めることが得意ではありません。でも介入されることも好みません。
父親である自分が介入が難しければ、他の家族に頼む。相談するべきなのにそれをせず。問題を先延ばしにしていたこと。それを正当化しようとしてしまう自分自身がお叱りを受けるのも当然です。
親がしなければいけないのは、どんな時でも温かいことばをかけ続けること。
常にありのままを受け入れること。
周囲の力を借りること。でも人任せにしてしまわず、寄り添うこと。
自分の価値観を押しつけてしまわず、子ども自身の価値観を大切にすること。
最後に
義父からお叱りを受けて、かなり参りました。
改めて自分を振り返り、間違いに気づいたこと。自分を顧みていなかったこと。
それでも、罪悪感は人を良い方向に向かわせることはできないそうです。
改めて、自分が投げたものがそのまま帰ってきたようにも思います。
先日、夢で息子が2歳くらいの時に一緒に過ごしている夢を見ました。通勤の運転中にそれを思い出すと、急に涙が止まらなくなって。
きっと自分の深層心理の中では、ただ無条件で僕のことを受け入れてくれていた2歳児の時。何も望まず寄り添っていた時に戻りたいと思っていたのではないかと。時間は戻ってこないので、それは大切な思い出ですが、大事なのは今です。
本当に失敗ばかりで反省することばかり。最近思うのは、きっと人間が1回目なのではないかと。前世は虫とか動物とか。
という、自分の心の中のモヤモヤを綴ってみました。